当社のロゴは社名であるスズランの花です。
以前は小池家の家紋を合わせていましたが。平成に入りリニューアルしたロゴには家紋が入っていません。お客様から多くご質問を頂く1つが当社の名前の由来についてです。その由来は、遠くさかのぼります。先祖の分流に松平忠直に付せられた後、会津公に任えた人がいまた。その子孫は会津戦争に破れ斗南に移され、そして、北海道に移住していきました。現代の代表者の祖父が父の始めた農産加工の会社にスズランを付けたのは、北海道に渡っていった人たちの志を大事にしたからといわれています。
会社概要
社名 スズラン酒造工業有限会社 代表者名 小池律男
設立年 1905年(明治38年)文政元年 池田屋創設立
資本金 6.500.000 年間売上300.000.000
業態 ワイン・果汁の製造・販売
住所 〒405-0059 山梨県笛吹市一宮町上矢作866番地
電話番号 0553-47-0221 FAX番号0553-47-3274
関連会社 スズラン食品/農業生産法人 スズラン酒造工業
会社概況
弊社は、江戸中期より酒造業にたずさわり、明治の頃宮内省陸軍の御用達をつとめてまいりました。屋号は、池田屋酒店と称し(現在の代表者の3代前)当時の小池四郎兵衛は、関東中部では、上位の石高にランクされておりました。しかし戦後に至り種々の社会変革、衣食住の洋式化にともない果実酒の将来性を着目。それへの研究を重ねて参りましたが、時の代表者小池次朗は、往年の経験技術を生かし加えて果実王国の原料生産地である事に力を致しワイン製造に遭遇して現在にいたっております。
当社のワイン製造の由来に関する記述
当社のワイン造りは明治の中頃、小池四郎兵衛(こいけしろべえ)が明治政府の能史で博愛主義者であった前田正名の説得を受け日本酒造りの傍ら、試醸した事に遡ります。明治政府は西欧化を押し進めていて、西欧諸国の制度や技術を取り入れるのに日本人を西欧に巡遺したり、技術者を日本に招いていて酒類の製造技術尊入にはドイツ人技士に頼んでいました。当家でワイン造りを始める時にも政府より送られて来たドイツ人技士が当家に滞在し、ドイツ人技士の指導によりワインは造られたのです。試醸から数年後の明治38年には宮内省御用のを造るまでになっていました。小池律男の曾祖父にあたる小池四郎兵衛(こいけしろべえ)に影響を与えた前田正名は明治政府の外交官でフランスに長く滞在しまた山梨県知事をも務めた方でありました。正名は在仏中、プロシアとの戦争の折に仏軍に加わり、フランス第三共和国の建設を目の当りにしフランス農民と交わりながわフランスの自由、平等、博愛に根ざした農業の重要さを知り帰国後農業の改革を説いて巡った賢人です。
私(小池律男)は明治時代にワイン造りを始めた先祖の重農主義、自然主義、博愛主義を社是として、よりよく理解しなければと思いながら、まばゆい太陽の下で獲れた葡萄をワインにする喜びを誇りとしています。葡萄畑で 葡萄の芽に触れ、小さな命に出会います。やがて季節が移って小さな命が重量感に充ちた深い果実味の葡萄に育つのを見ると、命の力強さと同時に栽培をする人の葡萄を育む心の大切さに気づきます。太陽の恵みを受け自由に太陽に向かって伸びる姿は命の平等、ひいては人間の自由平等を象徴しているかに思えます。自分で作った葡萄でワインを造らなければ、ワインを見ていても小さな命に気づきません。2004年1月、葡萄作りがワイン造りの基本と考え、ワイン製造会社を農業生産法人にいたしました。
更に詳しい記述です。
武田家滅亡の後、徳川家康の家臣となり松平忠長に付せられる。後幕臣となり老中支配の奥右筆の職に任ぜられたが小池四郎兵衛貞次の時に本国の上矢作村に移住し、帰農しました。酒造業を営み、文政元年に日本酒の製造を始めています。 | |
明治初期 | 明治に入り迫り来る列強の脅威に抗する為欧風化を急務としていた政府の施策と殖産興業を迫られていた山梨県令藤村紫明の政策は合致し、山梨は葡萄栽培が培かわれていた素地が一助に加わり、ワイン製造を推し進める原動力がこの時既に胎動していました。 |
明治20年 | 小池四郎兵衛は葡萄酒原料葡萄を目的に上矢作地内にアジロン種の栽培を始めました。 |
明治20年以後 | 清酒製造石数県下上位となっていました。 |
明治38年 | 明治政府の能史、前田正名の勧めにより小池四郎兵衛は葡萄酒醸造を開始しました。本業である日本酒醸造の技術と道具を活用してのスタートでしたが、葡萄酒醸造の季節が夏から秋にかけてであった為寒冷期に仕込む清酒製造者にとっては、異常の事で大変な危険をともなう事も覚悟しなければなりませんでした。 |
明治40年 |
宮内省御用の*「九重シャンパン」を製造しました。 |
昭和19年 | 戦争遂行政策である経済統制令により人員と原料(米)不足を抱えて、日本酒製造業を止めました。葡萄酒は兵器の一部に使われていた酒石酸の原料となっていたので葡萄酒製造業は保護され継続しています。 |
昭和21年 | 現在の代表者の父小池次朗は、戦地より帰還し農産加工業に着手し荒廃した農村の復興を志し缶詰、食品、果汁の製造を始めました。 |
昭和49年 | 現在の代表者小池律男が休止中の葡萄酒醸造を再開する。 |
平成12年 | メルロー、プチベルト、カベルネ・ソーヴィニヨン、シャルドネの垣根栽培を自家農園で始めました。 |
平成13年 |
日照時間が日本一長い明野村地内(旧浅尾村)に凝縮度の高いワイン原料栽培を目指し、50a(㌃)の農地を取得する。 |
平成16年 農業生産法人スズラン酒造工業に変わる。
*宮内省御用達の「九重シャンパン」の当時の分析表